日本は「需要抑制できなければスタグフレーションに」なるのか

■野口教授の日本経済スタグフレーション移行説
以前すでに説明したことがありますが、スタグフレーション(景気停滞とインフレの並存)とは、「急激な輸入インフレとその波及過程である」という単純な考え方が当室の結論です。つまり、輸入物価の上昇とそれに伴う国内所得の海外移転により、国内物価の上昇とGDPの減少とが同時に発生することが原因です。

従いまして、スタグフレーションは輸入物価の急上昇とその対応・価格波及に追われる数年程度の期間は継続するかも知れませんが、景気がもたもたしているうちに価格上昇の波及が一巡し、やがてインフレ部分は解消に向かいます。ですから、ボルカーFRB元議長の実施したような極端な高金利による経済引き締め政策は必要ありません。

ところで、野口悠紀雄早大教授は、週刊東洋経済の連載コラムの中で、毎週様々な経済学的論説を展開され、読んでいて刺激になりますが、いくつかは誤認や間違いも存在します。たとえば以前、購買力平価説に基づく円高60円水準を盛んに予言されていましたが、現在までついにそうした事態には至ってはおりませんし、今後も当分あり得ないレート水準だと思います。

それはさて置き今回は、週刊東洋経済4.30-5.7号の論説で、上記標題とした「需要抑制できなければスタグフレーションに」という興味深い内容の主張を展開されています。大まかな論旨は次の通りです。

◆野口教授の主張内容(※1)
①日本が大震災と原発事故への対応に忙殺されている間に、世界経済にはインフレ圧力が高まり、欧米諸国は金融引き締めに舵を切った。
②日本では、3月の輸入物価指数は、契約通貨ベース対前年同月比で19.2%(円ベースでは円高により9.4%)上昇、4月は円安で円ベース2桁の上昇となろう。
③日米金利差拡大の期待から円安が進行したが、震災による生産設備損傷と電力供給カットのため、輸出は増えない。しかし円安で輸入物価は上昇する。
④この情勢は、深刻なスタグフレーションを米英にもたらした石油ショック(第一次オイル・ショックは1973年)後の状況と似ている。その後米英ともにこの時の経済的打撃から20年間回復できなかった。
⑤供給制約下で需要が増えればインフレーションになる。震災復興投資需要は除去できないから、金融引き締めで円高を実現するか、あるいは増税で消費を削減することが必要だ。
⑥90年代以降、物価が上昇しなかったのは、新興国の工業化で工業製品価格が下落したからだ。
⑦資源価格が上昇すれば、日本国内の消費者物価も上昇する。経済危機によって需要が急減する真っただ中で物価が上昇したことから、「需要不足のために物価が下落する」という考えがまったく誤りであることがはっきりと実証された。
⑧供給サイドに制約が生じている以上、必要なのは、金融引き締めで円安を防止し、海外からのインフレ輸入を防ぐことだ。
⑨日本は長期間需要不足に悩まされて来たがために、上記現状にあってもなお需要追加論が主流だが、「ばかばかしい、問題は供給サイドだぜ。」と言いたい。

■野口教授の主張は見当はずれ
野口教授の主張は、簡単に言うと、「震災で生産設備が破壊されているから、金融引き締めで政策金利を引き上げ、需要を削減するとともに円高誘導で輸入物価を引き下げる政策を取らないと日本経済はスタグフレーションに陥る」ということです。

しかしながら、その考え方は当たらないと思います。当室がそう考える理由は次の通りです。

(1)もともと日本のデフレ・ギャップは20兆円と大きい(※4)。つまり需要と比較して生産力が過剰な経済構造。
(2)2011年度予算自体が、前年度比で赤字国債発行額が8.8兆円削減(純減)されており、有効需要削減効果を持っている(※3)。
(3)生産設備が破壊されて生産が減退すれば、生産に必要な仕入れ需要(原材料需要、経費的需要、雇用的需要)も減退するから、需要面も或る程度、供給面とパラレルに減退する。供給力だけが単独で減少するわけではない。

つまり、日本経済の現状として、供給力と比較した場合の需要不足はどこまで行っても需要不足であることに変わりはありません。輸入品価格の上昇で、多少の国内物価上昇は進行するかもしれませんが、大した上昇にはならず、政策金利を引き上げてまでの内需抑制は不要だと思いますし、かつまた金利が上昇すれば景気悪化を招来することは間違いない情勢にあると判断されます。

景気回復が或る程度確証を得られつつある米国でさえ、QE2は6月末で終了するものの、政策金利は当面据え置き方針です。いわんや日本をや、というところでしょう。

これらに加えて、その後の状況変化により、次の点(供給サイドの制約緩和)もプラス方向に考慮できる情勢となっています。
(4)電力供給の制約は、削減目標が当初25%→現在15%で済みそうである。
(5)部品等のサプライチェーンの復旧が、当初見込みよりも早期化しそうである。

そして、野口教授の今回の決定的な勘違いは、デフレの原因を「需要不足による価格下落」ではなくて「新興国からの価格の安い工業製品輸入」にあると認識していることにあります。

そのような誤認をしてしまった理由は、「経済危機によって需要が急減する真っただ中で(消費者)物価が上昇した」という現象を、輸入物価の上昇が主要原因と思い込んでしまい、それゆえ「『需要不足のために物価が下落する』という考えがまったく誤りであることがはっきりと実証された」と解釈してしまったことにあります。

しかしながら、今回の「経済危機によって需要が急減する真っただ中で(消費者)物価が上昇した」理由というのは、輸入物価が上昇したからというよりも、国内の消費支出(つまり需要面)が回復したためです。需要面の回復は、鉱工業生産指数の回復状況にも間接的にではありますが、端的に現れています。

そのことは、4月28日の日経新聞夕刊の第一面のグラフを見ればよく理解できます。イメージのつかみ易いグラフですので、次に掲載しておきたいと思います。リーマンショック後の生産活動の落ち込みは急激でしたが、その分2009年には急回復していることが明確です。

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 (2011.04.28付日本経済新聞夕刊より)

それにしても、デフレの原因が「需要不足(=超過供給)ではない」と主張する経済学者がいるとは思いませんでした。そう主張するのならば、デフレの逆の現象であるインフレの原因は、「超過需要ではなくて輸入物価の上昇が原因だ」とでも解釈するつもりなのでしょうか? インフレ原因をそう解釈するならば、インフレ対策としての政策金利引き上げによる総需要抑制政策は無意味だということになってしまいます。

ちなみに、2010年の名目GDPは速報ベースで479兆円です(内閣府四半期別GDP速報値による)。

■最終的には日銀見通しの通りで良い
日銀は4月28日の金融政策決定会合で、成長率、物価見通しを次のように公表しています(※2)。
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日本経済新聞(4/29付)によれば、日銀の見解は次の通りです。

(a)東日本大震災の影響で、経済への下押し圧力が強まるものの、電力不足などの供給制約が解消するにつれ、生産や輸出などは回復する。
(b)2011年度の成長率見通しの下方修正は、大震災や原子力発電所の供給制約が背景。電力不足や部品のサプライチェーン(供給網)の寸断で企業の生産活動が落ち込み、輸出や国内向けの出荷・販売に影響する。
(c)秋口以降、供給面の制約が和らぐ。
(d)2011年度後半は、景気回復テンポが高まる可能性が高い。
(e)2012年度は、輸出・生産を起点として、潜在成長率を上回る成長が続く。
(f)物価見通しについては、新興国などの高成長を背景とした資源価格の上昇が日本にも波及するが、需給ギャップから物価がどんどん上昇する状況にはない。

日本経済の今後の見通しについては、最終的には、日銀の見方が妥当であると思います。

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(※1)週刊東洋経済 2011.4.30-5.7号による。

(※2)2011.04.29付日本経済新聞により作成。

(※3)細かい検証はしていませんが、植草氏の財政論は概ね正当だと思われます。ただし、最近の主張は過激な部分も多く、論調そのものを当室は支持しているわけではありません。同氏の学者としての経済学的論証部分のみに着目しています。
[以下、引用]
◆姿現した経済破壊庶民大増税悪魔補正予算の企み(植草一秀の『知られざる真実』2011年3月19日 (土)より)
予算のどの計数を用いて財政赤字を計測するのかという問題がある。いわゆる埋蔵金を活用すると、見かけの財政赤字=国債発行額を人為的に増減させることができる。したがって、国債発行金額を財政赤字として政策スタンスを判断することは正しくない。
 
そこで、分かりやすい指標として、「歳出合計-税収」という捉え方がある。この金額を財政赤字と捉えるのだ。
 
問題は、この財政赤字が前年度に比べて増えるのか減るのかだ。財政赤字が減少するのが緊縮財政、財政赤字が増えるのが積極財政である。
 
菅政権が提出した2011年度当初予算は、過去最強の緊縮財政になっている。その大きな要因として、2009年度第2次補正予算による支出のうち4兆円分の支出が2010年度にずれ込んだことだ。この支出を加味して計算すると、2011年度の財政赤字(歳出-税収)が2010年度と比較して8.8兆円の減少となる。
 
2009年度補正予算のうち4兆円の支出が2010年度にずれ込むと、
支出は2010年度99.9兆円から2011年度92.4兆円へと7.4兆円減少する。
税収は2010年度39.6兆円から2011年度41.0兆円へと1.4兆円増加する。
この結果、財政赤字(歳出-税収)は8.8兆円も減少する。過去最大の緊縮財政になるのだ。
過去25年間で超緊縮財政が実行されたのは、97年度と2001年度である。橋本政権の大増税と小泉政権の緊縮財政である。緊縮の規模は97年度が7.1兆円、2001年度が6.6兆円だった。
 
いずれのケースも財政逆噴射で日本経済が破壊された。日経平均株価はそれぞれ、1万円、1万3千円の幅で暴落した。今回の緊縮の規模は8.8兆円である。未曾有の超緊縮デフレ予算が編成されてきた。
 
日本の株価は大震災が来なくても下落する流れの中にあった。そこに、今回、震災の影響が加わるのである。

直ちに大型の補正予算が必要である。破壊された生活関連・生産関連インフラが膨大である。建設国債を発行して迅速にインフラを整備しなければならない。
 
同時に、被災者の生命と生活を万全の体制で支えなければならない。政府は、「被災地に物資が供給されない」と、他人事のようなコメントを発しているが、政府が物資を購入し、政府の責任で搬送を行えばよいだけだ。この施策を打つには財源が必要になる。そのための復旧・復興補正予算を直ちに編成するべきだ。
 
規模は10兆円規模が望ましい。何よりも大事なことは、その財源を100%国債発行で賄うことである。かなりの部分は建設国債を発行できる。足りない部分は赤字国債を発行するべきだ。
 
別の支出を減らして災害関連の支出に回しても、景気を押し上げる効果を発揮しない。財政収支は悪化しているが、日本経済の現状を踏まえる限り、国債発行による支出拡大を選択するよりほかに道はない。
 
2012年度の復興増税など言語道断である。増税を行えば、その分、丸々景気支援効果が打ち消されることになる。」[以上 引用]

(※4)◆「今も実質実効為替レートは円高で産業の足かせになり、鉱工業生産指数はリーマン危機前よりかなり落ち込んでいる。日本経済は潜在成長経路からかなり大幅な需給ギャップを抱えている。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの片岡剛士主任研究員は、こうしたギャップが20兆円程度に達すると説明している。
 震災は、主に不十分な金融緩和のために過去5年間続いてきた需要不足が解消しないところに襲ってきた。震災は、生産供給能力の低下による個別商品のボトルネックを通じて価格上昇圧力になる一方で、資金面では非常時に備えた貨幣需要や保険金支払い準備のための資金還流を通じて円建て資産の需要を増やす。阪神大震災後には1ドル=79円台の円高となったし、今回の震災後には過去最高値の同76円台を記録した。円高基調はなお続いているのである。
 しかも震災直後の市場統計指標、例えば百貨店売上高、外食、旅行の売り上げは大幅に減少し、需要不足のシグナルを発している。また新車販売台数は供給要因もあるが激減している。需要不足経済の基調も続いているのである。」
(2011/04/27, 日本経済新聞 転機の内外金融政策(中)震災後の課題――エール大学教授浜田宏一氏(経済教室)より引用)