愛情を掛けるか否か

投資とは関係なく、私的所見を記載します。

最近、当室管理人の親しい友人が60歳という若さで、病気により死去しました。闘病記はブログになっていて、死後にそれを知り、先日全文を読了しましたが、本人のやむにやまれぬ心情や、彼の治療を支える奥さんの気遣い等、様々考えさせられ、示唆を受ける内容でした。

重い病気になったのは確かに不幸で無念であったでしょうが、一方で彼が自分を支えてくれる家族を有していたのは、この上なく幸運なことであったと思います。それは彼の人柄や、普段の考え方、奥さんや子供たちへの思いやりなど、彼の性質によるもので形成されていた「幸運」なのであったのだと思います。

ところで話は変わりますが、彼とはまた別の知り合いの経営している病院や老人保健施設を見学等で見ていますと、奥さんが車で付き添って送迎して通院している大事にされているご主人もあれば、逆に、自宅から朝そのまま老人保健施設の送迎車へ乗せられて行って終日施設で過ごし、夕方また送迎車で自宅に戻って来るという家族と疎遠な境遇のご主人もいることに気付きます。

その本人の終末期にご家族から受ける待遇の差は、やはり、そのご主人が、奥さんや家族を長年来どのように扱って来たのかに掛かっているのでしょう。奥さんや家族に好かれていれば手厚い待遇となりましょうし、奥さんや家族を粗雑に扱っていたのであれば、当然その逆の待遇となりそうです。この風景は、男女逆の場合も成立しています。奥さんを車椅子に乗せて後ろを押して診察室へ向かうご主人は、なぜか幸せそうな表情をしています。おそらくは奥さんのことが好きなのでしょう。

この、相手を大事にするという対応姿勢は、やはり相手のことが好きだから出来るのであり、結婚することの根幹はそこに存在するものと思います。相手が好きだから一緒にいたいし、ギブ・アンド・テイク(相手に与えてから自分は後で受け取る)という対応が自然に継続してしまう。相手のことが好きだと、相手の笑顔が見たいから、損得勘定抜きで相手優先で構わない、自分のことは少し後回しにして相手のことを先に考えるという対応が自然にできてしまうこととなります。

言ってみれば、ポートフォリオと同じで、自分の気持ちを誰に集中投下するかという例えで考えてみれば、リターンも自ずと予想がつきます。もっとも、リターン目当ての計算ずくでは本末転倒で、意味をなさなくなります。愛情を掛けるか否か、ということが、すべてに共通する成功の原理原則のように思います。